寄港地

1.石垣港出航

2.八重山郡竹富町小浜港出航(2009年3月22日)

3.フィリピン、マニラ(Philippines, Manila)(2009年3月29日着)

4.フィリピン、南沙諸島、ノースデンジャーリーフ(North Danger Reef)

5.マレーシア、ラウト島(Malaysia,Laut Is.)

6.シンガポール(Singapore,Changi)(2009年4月14日着)

7.タイ、プーケット、ボートラグーン(Thailand,Phuket,Boat Lagoon)(2009年6月5日出航)

8.インド、アンダマン諸島、ポートブレア(India, Andaman Is. Port Blair)(2009年6月10日着)

9.モルジブ、マーレ(Maldives, Male)(2009年6月27日着)

10.イギリス領、チャゴス諸島、ソロモン島(2009年7月24日着)(United Kingdom, Chagos Archipelago, Solomon Is.)

11.モーリシャス、ロドリゲス島(Mauritius, Rodrigues Is.)(2009年8月1日着)

12.モーリシャス、ポートルイス(Mauritius, Port Louis )

13.フランス、レユニオン、ポートウエスト(France, Reunion, Port Ouest)(2009年8月18日着)

14.マダガスカル、サント・マリー島(Madagascar, Ile S.Te Marie)(2009年9月5日)

15.マダガスカル、フォートドーファン(Madagascar, Fort-Dauphin)

16.南アフリカ、リチャーズベイ(South Africa , Richards Bay)(2009年9月27日)

17.南アフリカ、ダーバン(South Africa , Durban)

18.南アフリカ、ポートエリザベス(South Africa , Port Elizabeth)

19.南アフリカ、モッセルベイ(South Africa , Mossel Bay)

20.南アフリカ、ケープタウン(South Africa , Cape Town)

21.イギリス領、セントヘレナ(United Kingdom, Saint Helena)(2009年12月26日着)

世界一周夢航海出航

感激の竹富町小浜港出港式

そして石垣港出港


 八重山郡竹富町小浜港出航(2009年3月22日)

(斎藤頼子乗船にて3名乗員)

 

盛大な壮行会と石垣港離島桟橋の岸壁に当日集まった人だかりに見送られての出港だ。石垣市観光協会主催による壮行会で様々な準備をしていただいた。感謝は成功して無事帰国することだ。

 

3月24日もやいロープは岸壁から解かれた。

 

まず我々がやらねばならないことは各自の体調管理である。非日常のクルージングは日々の生活習慣を作らねばならない。特に船の揺れからくる船酔いは、快適性以前に危険な状況が継続する。斎藤頼子(頼ちゃん)が3昼夜に渡り動けない状況が続いた。

その後、幸運にもベタ凪で嘘のように元気になり、食当(食事当番)ができるようになりホッとした。佑樹は船酔いを理由に眠り続けていた。

 

何と船体のコンディションで早くもトラブルが発生した。急遽フィリピンのマニラ入港を決めた。ウインドベーン(自動操舵装置)の溶接部が破損したためだ。2009年4月14日、シンガポールへ向け、フィリピンのマニラ出港。

 

モルジブ


マーレ(Maldives, Male)(2009年6月27日着)

(斎藤頼子は下船。台湾人Huiling Lin乗船にて3名乗員)

 

 頼ちゃんが帰国し、台湾からリンコーちゃんがやって来た。モルジブは100%イスラム教の国であり、敬けんなイスラム教国である。

モルジブには結局、1ヶ月も滞在した。1ヶ月滞在せざるをえない理由は、エンジニアが自ら修理ではなく壊す状況を作ったからだ。

エンジン修理箇所はシリンダー(エンジンの心臓部)噴射弁からのガス漏れである。当然、船内にガスが充満するわけで、船酔いの原因ばかりか死に至る危険な状況だ。これが頼ちゃんの船酔いの原因であり、修理せずに出航など不可能である。

この修理依頼のために、毎日エンジニアと電話で確認した。

待ち合わせ場所に15分前に着く。しかし、彼らは来ないのだ。

そして3週間を過ぎる頃に、ついにエンジンを壊してしまった。心臓内部に鉄片を落としてしまったのだ。

この重大なチョンボはエンジニアも百も承知の上で修理していたのに!

何せ、心臓部を開いて鉄片を取り出す新たな大手術となる。

 

エンジン修理に必要な部品がなかなか届かず、足止めを食らった。

ところが、神様は我々を見放しはしなかった。エンジニアの喜ぶ声など聞いたことがなかったが「キャプテン!部品が見つかった!1週間で届く!」という電話が来た。

修理の戦いが終わり、別れる時にはお互いハグして笑顔で別れた。

 

 

マダガスカル

サント・マリー島(Madagascar, Ile S.Te Marie)(2009年9月5日)

マダガスカル、フォートドーファン(Madagascar, Fort-Dauphin)

 

マダガスカルの常識

 

9月5日、サント・マリー島に到着。マダガスカルは世界最貧国の一つだ。朝食後、入国手続きをする予定で準備していたら、小さなボートが近づいて来た。場所を変えろとのことで、港の奥の方に移動した。すると、税関に案内するから金をよこせときた。地元のお金がないから翌月曜日に渡すと言っても聞かない。

50ユーロと言うのを20ユーロしかないということで了解させた。彼らが去った直後、別のお役人と思われる手漕ぎボートが来た。

またまた金をよこせときた。しかし彼らの口調は税関もしくはコーストガードなのだ。今までのどこの国でも上陸前にはこのような検査があるのだ。

 

結局、そこそこの額をドルで渡したが領収書が出て来ない。後日談だが賄賂が横行している。完全に騙された。

さて、我々にとって重要なのはパスポートにハンコを貰うことだが、入国は何時でもできる。さっそく、ジーンさん依頼のロドリッシュ神父を探さねばならない。待ち合わせ場所に到着。麦わら屋根の家に入ると見るからに実直そうなロドリッシュ神父がいた。

翌日の日曜礼拝への参加を促され、我々は喜んで早い時間にもかかわらず出かけた。正味3時間、小学校の先生と思しき女性のリードで歌あり、講話あり。ロドリッシュ神父の話し、キリストの歌あり、大人代表の我々への感謝の話し等、子供たちは集中していた。疲れたけれども、貧しさではない幸せな時間を共有した心地だ。

南アフリカ

リチャーズベイ(South Africa , Richards Bay)(2009年9月27日)

ダーバン(South Africa , Durban)(ベルギー人、Max乗船にて3名乗員)

ポートエリザベス(South Africa , Port Elizabeth)

モッセルベイ(South Africa , Mossel Bay)

ケープタウン(South Africa , Cape Town)

 

10月6日、南アフリカダーバン着。

 

ダーバンマリーナにて佑樹がマックス(ベルギー生まれフランス人)と友達になった。彼がケープタウンまで我々のヨットに乗船することになった。彼は海のバックパッカーなのだ。乗船中はただで食事と宿泊場所があるわけで若者にとっては一石二鳥なわけだ。

その上彼はヨットの経験やライセンスなど自己アピールがあり、なんでも任せろという自信を私に見せつけた。ところがダーバンを出発するなり、私の基本ルールを即破り始めた。