寄港地

1.オーストラリア、マッカイ(Australia ,Mackay)(2010年8月21日着)

2.オーストラリア、リンデマン島(Australia ,Lindeman Is.)

3.オーストラリア、フック島(Australia ,Hook Is.)

4.オーストラリア、タウンズビル(Australia ,Townsville)

5.オーストラリア、ケアンズ(Australia ,Cairns)

6.オーストラリア、フィッツロイ島(Australia ,Fitzroy Is.)

7.オーストラリア、グリーン島(Australia ,Green Is.)

8.パプアニューギニア、ルイジアード諸島、パナナマーラ島(2010年10月10日着)(Papua New Guinea、Louisiade Archipelago,Pana Numara Is.)

9.ソロモン諸島、ギゾ(Solomon Is,Gizo)(2010年10月20日着)

10.パプアニューギニア、ラバウル(Papua New Guinea、Rabaul)

11.パプアニューギニア、ケビアン(Papua New Guinea、Kevieng)

12.ミクロネシア、イファリック(Federated States of Micronesia,Ifalik)(2010年11月19日着)

13.パラオ、マラカル(Palau,Malakal)(2010年11月24日着)

14.ミクロネシア、ヤップ諸島、コロニア(Federated States of Micronesia,Yap Is,Colonia)

15.台湾、基隆(Taiwan,Keelung)(2011年1月6日着)

16.日本、小浜島(2011年1月27日着)世界一周航海達成!!

パプアニューギニア

ルイジアード諸島

パナナマーラ島 (2010年10月10日着)

(Papua New Guinea、Louisiade Archipelago,Pana Numara Is.)

 

パプアニューギニア、パナナマーラ島での触れ合い

10月10日、パナナマーラ島に到着。

ゆっくり片づけをしていると、佑樹がデッキで子供と話し始めた。そう、カヌーでやって来たのだ。次に大人が来て、学校の先生、それに子連れのお母さんも来た。皆、バナナ、パパイヤなどの売り込みだ。

買えるものは買い、必要でない物は買わなかった。

買い物と言ってもお金を使うのではなく、佑樹のTシャツ、ノ―トとペンなどと物々交換だ。素朴な人たちでホッとした。

翌日に学校を訪問することを約束したので楽しみだ。ちなみに、パプアニューギニアは、日本の外務省では非常に危険な地帯として広報されている国である。

 翌朝、まじめに約束通り、ウォーレンさんが来船し、その後、バーナードさんも孫を連れてやって来た。しばし島の苦労話を聞いたが、政府が何もしてくれないことを、バーナードさんは問題にしていた。

特に病院には困っていて、遠いミシマ島まで1日がかりで行かねばならない。全長3m程度のセーリングカヌーが交通手段だが、場合によっては、何日も天候の回復を待たねばならない。そんな、病人にとって過酷な現状を話してくれた。しかし、このパナナマーラ島は皆元気で幸運だ、とも言っていた。

ウォ―レンさんは、前日、我々のパソコンを使ってドイツの友人にメールを送ったので、その返信を楽しみにして来た。

しかし、メールは相手に送信されておらず、今朝も佑樹が確認したが送信できず、残念だった。ドイツの友人もこの島を数年前にセーリングで訪れ親しくなったのだ。

手伝いができず申し訳ない気持ちだ。しかし、電気や車のない生活を苦とも思わず生活できる彼らに対しては、嫉妬すら感じる。

ありがとう、バーナードさん、ウォーレンさん。この自然の生活が、いつまでも静かに続くことを祈る。

 

ソロモン諸島

ギゾ(Solomon Is,Gizo)(2010年10月20日着)

 

ソロモン諸島、ギゾ島滞在記

10月21日、次に寄ったギゾ島は、ソロモン諸島では最初で最後の滞在先となった。

当地でウイリアムさん(42歳)と知り合い、大変お世話になった。

ウイリアムさんと初めて出会った時には、世界大戦時の沈船を、我々のゴムボートで案内してもらった。

もっとも、これは彼にとっては重要な仕事なのだ。

 

彼は、友達だという彫刻家たちも連れてきた。その彫刻家たちのおしゃべりが、地元の神様を真剣に崇める口上で、私は気に入り、二人の彫刻家から石の彫り物をお土産に買った。今回の世界周航で初めての日本への買い物だ。

努力している人たちに報いたかったのかもしれない。

 

ギゾでは、おそらく日本の資本によって、日本の企業が病院を建築中だった。

ウイリアムさんが言うには、日本は世界一のソロモン支援国とのことだ。ここまでの航海では、特にトンガ、フィジー、バヌアツといって南太平洋の島々で日本の評判が良かった。

何かにつけ、期待されているようだ。各島しょ間で、貧富の格差を感じてここまで来た。

その原因は、各国内での政情の安定度が、そのまま貧富の差になっているようだ。

確かに、援助国としても、政情が不安な国には援助のしようがない。パプアニューギニアで見たように、援助金もしくは物資を、主都や一部の権力者が横取りしてしまい、各地方に援助が届かないところは、いつまでたっても良くならない。

 

パプアニューギニア

ラバウル(Papua New Guinea、Rabaul)(永尾彩子乗船、当社スタッフ)

ケビアン(Papua New Guinea、Kevieng)

 

★戦地ラバウルにて

10月26日、戦後生まれの私が、59歳にしてラバウルにやって来た。海図上にすさまじい沈船の印を横に見ながらの入港である。

ラバウルといえば、大戦時には壮絶であったであろう日本人としての礎の港だ。心の中で合掌しながらの入港だ。

今まで、戦争という国単位のエゴの戦いを、私は体験することはなかった。しかし、入港後数日して、地元の人たちの心に触れるに従い、彼らの祖先の多くが戦争被害にあったであろうことも遠い昔になり、今は彼らに声をかけられることがしみじみ幸せと、平和の重要性を感じる。

前寄港地、ギゾ島ではガダルカナル島の昔話を地元の人から聞いた。日本の昔と今を比較しながら、今の日本の素晴らしさを私に話してくれた。

JICA(日本国際協力機構)などが援助しているからだろう。

というのも、南太平洋島しょ国に限らず、マダガスカルなど開発途上国でも日本政府が資金と技術援助を行っているのを見てきた。

日本人として誇れる行動だし、他の先進国では見られない。欠点といえば、JICAの行動を世界に宣伝していないことだろう。

 

台湾

基隆 (Taiwan,Keelung)(2011年1月6日着)(台湾発着で2隻目のヨット世界一周航海達成!)(一樹、ジュンちゃん下船にて3名乗員)

 

★うれしい新年初仕事

2011年1月元旦。ミクロネシアを後にした八重山号は、台湾の基隆港に向けて針路を進めていた。新年は、洋上で迎えることとなった。

前の晩に、佑樹が年越しソバを作ったが、食べられたのは佑樹と私だけだった。波高5m、ヒールがきついが、この状態に慣れる以外、方法はない。特に女性2名は寝たきりになってしまった。

 

2011年の初仕事は、ビルジポンプ修理だ。船の中央にポンプが二つあるが、ヒールがきつくて海水を吸いきれないのに、つい無理をして使っていた。結局、ポンプの一つが作動しなくなった。

一樹(長男)と佑樹の3名で検討した結果、風下側にもう一個ビルジポンプを増設することにした。ビルジポンプ増設には、シガ―ライターソケットのコンセントを使用した。短めのホースしかなかったが、バーナーで挿し込んで何とか接続に成功した。排水はギャレーシンクに流すことにして、風下にたまっていたかなりのビルジが、瞬く間になくなった。

こうして、一昼夜にわたるビルジとの戦いを終えた。この大変な状況が、伽の目的地である、基隆港まで続く可能性もあったため、うれしい初仕事だった。

 

日本

石垣 (2011年1月15日帰国)世界一周航海達成!!

 

世界一周達成

2011年1月17日。長年の夢であった世界一周航海を、1年10ヶ月かけて、ついに達成した。

27カ国、62寄港地、そして5回の赤道越え……。

総航海距離が4万マイル(7.4万km)を超えたが、これは地球2周弱の距離に相当するものだ。

そして基隆港着岸だが数日前からエンジン不調に陥っており、入港数時間前からスタートできなくなった。このためセーリングでの入港と着岸となった。

台湾の友人アントニオと学生のヒカルが雨模様で深夜にもかかわらず待機してくれ、着岸を無事終了した。感謝。

小浜島や石垣島での出港式では、多くの方々から熱意と夢をいただいた。出航準備に際しても、多くの方の励ましや助言をいただいた。

そんな「心」の応援があったからこそ、我々は無事に帰国できたのだと思う。