寄港地

1.ブラジル、レシフェ(Brazil, Recife)(2010年1月11日着)

2.フランス、セントマーチン(France, Saint Martin)(2010年2月9日着)

3.アメリカ、セントトーマス(United States, Saint Thomas)(2010年2月15日着)

4.イギリス、トルトーラ(United Kingdom, Tortola)(2010年2月25日着)

5.パナマ、コロン(Panama, Colon)(2010年3月7日着)

6.パナマ、フラメンコ(Panama ,Isla Flamenco)

エクアドル、ガラパゴス諸島、サンクリストバル(Ecuador, Iles Galapagos, San Cristobal)(2010年4月3日着)

7.フランス、マルケサス諸島、ヒバオア島(French PolynesiaIles Marquises, Hiva Oa)(2010年5月1日着)

8.フランス、マルケサス諸島、フツヒバ島(French Polynesia, Iles Marquises, Fatu Hiva)

9.フランス、ツアモツ諸島、ランギロア島(French Polynesia, Archipel ,Des Tuamotu, Rangiroa)

10.フランス、タヒチ、パペーテ(French Polynesia, Tahiti, Papeete)

11.フランス、モーレア島(French Polynesia, Moorea)

12.フランス、ボラボラ島(French Polynesia, Bora-Bora)

13.ニュージーランド、クック諸島、ラロトンガ(New Zealand, Cook Islands, Rarotonga)

14.トンガ、ヌクアロファ(Tonga, Nuku’Alofa)(2010年6月9日着)

15.トンガ、ババウ諸島、ネイアフ(Tonga, Vava'U Group, Neiafu)

16.フィジー、スバ(Fiji,Suva)(2010年7月1日着)

17.フィジー、バヌアレブ島、サブサブ(Fiji,Vanua Levu, Savu Savu)

18.フィジー、ラウトカ(Fiji,Lautoka)

19.バヌアツ、ポートビラ(Vanuatu,Port vila)(2010年7月18日着)

20.バヌアツ、マレクラ(Vanuatu,Malakula)

21.バヌアツ、エスピリトゥサント島、ルーガンビル(Vanuatu,Espiritu Santo,Luganville)

22.ニューカレドニア、ウヴェア環礁(New Caledonia,Atoll D'Ouvea )(2010年8月1日着)

23.ニューカレドニア、ヌメア(New Caledonia, Noumea)

24.ニューカレドニア、チェスターフィールド諸島、ロング島(New Caledonia, Iles Chesterfield, Iles Longue)

ブラジル

レシフェ(Brazil, Recife)

ブラジル、レシフェにて無事リンコーちゃんと合流し、八重山号クルーは4人になった!

 

レシフェは南アメリカの北東の角にある都市だ。そこに到着するまでは、地球を半周するほど遠い道のりだった。そこはカラフルで情熱的な人々がいるところで、私はワクワクしていた。

さあ、憧れのブラジルだ。

レシフェにいた間は、ちょうどカーニバルシーズンだったので、カラフルで陽気な雰囲気の中にどっぷりひたることができてとてもラッキーだった。

ここの人たちはとてものんびりしていて、船を整備する職人たちは、八重山号のエンジンのことよりもカーニバルのことが気になって仕方がないようだった。八重山号は完全にはメンテナンスをできなかったけれど、職人たちとはしょっちゅうビールを飲むはめになった。

レシフェの街は150万人都市だ。古い教会がたくさんあり小旅行した。

それにしてもブラジル人たちは老若男女問わず、海水浴がすきだ。若者のビーチサッカーをみてここのサッカー熱とその実力はただ者ではないことを実感した。

 

パナマ

コロン(Panama, Colon)(2010年3月7日着)

フラメンコ(Panama ,Isla Flamenco)

 

パナマ運河通行手続き失敗!

エージェントにだまされた。昨日は2週間待ちの運河通過日だった。いろいろな手続きの中で、ラインハンドラーというクルーが我々には3名必要だった。この手配をエージェントに頼んでいたのだ。

前日に確認したにもかかわらず、当日になり、エージェントは頼まれていないという。パナマはスペイン語圏だ。

しかも、彼らの英語力が乏しいということも、事前に理解していた。

だから、何度も確認したにもかかわらず、3名のラインハンドラーが当日、いないがために我々は通行できなかった。モルジブの再来のようだ。砂を噛む思いだ。エージェントに気をつけろ!

  

 

 

太平洋側パナマにて、世界周航1周年!!

2009年3月24日、石垣港を出航して、ちょうど1周年を向えた。まさに、波乱万丈というと、大げさだが、良くここまでこれたものだと感激だ。これは我々だけの力ではなく、日本からの、台湾からの様々なバックアップがあり、ここまでこれたのだ。感謝あるのみ!

 

エクアドル

ガラパゴス諸島

サンクリストバル(Ecuador,Galapagos, Iles San Cristobal)(2010年4月3日着)

 

世界自然危機遺産ガラパゴス

日本の資料によると、7千人の人口のようだ。資料によると「直接的な環境汚染や撹乱、外来生物の繁殖、横行する密漁など多くの問題が持ち上がっている」とある。

今日は1日ツアーに参加した。陸ガメの保護センターそしてイグアナ海岸、アシカ授乳風景、鳥の漁獲風景などのツアーだ。さすがガラパゴスの醍醐味を堪能した。

極めつけは。我が艇に戻って来たら、何とアシカがトランサム(船尾)に昼寝していた。

 

我々はサンクリストバル島にアンカーを下ろし入国手続きを行なった。

そして言われたことは、出国するまで、もしくは20日間以内、移動禁止だ。我々の予定は2週間かけて島々を探索予定だった。ということで、我々はフェリーでサンタ・クルス島に出かけた。

各島の桟橋では検疫官がおり、手荷物の検査をしていた。フェリー船内も同じだ。大型ホテル建設は見られなかったが島民住宅兼用ホテルは建設ラッシュのようだ。

以前2度、当地に立ち寄ったヨット航海記では、桟橋に足の踏み場がないほど、イグアナがいたが、2度目のときは皆無だったとある。今はアシカが闊歩している。ツアーガイドとイグアナのコロニーにお邪魔している、まさにその時、凄まじい爆音と共にジェット機が上空を飛び立った。部落を歩いていて、ペットの犬の多さにも違和感を感じた。いずれにせよ、人間は自然との共存共生を模索する義務があることは確かだ。

 


フランス

タヒチ

パペーテ(French Polynesia, Tahiti, Papeete)

 

公園に蚊がいないパペーテ!

フランス領ポリネシアでは、パペーテ滞在が10日程で最も、長かった。ヨット係留地のあるウォーターフロントで驚いたことは、夜に蚊がいないのだ。港湾界隈の多目的広場には屋台が並ぶのだが、島人たちと夕涼みしていて気づいた。

水銀灯があり、緑もあり、10軒以上の屋台があるにもかかわらず、蚊がいない。後で聞いたことだが、行政が翌朝には、きれいに清掃しているとのことだ。昼間は土産屋が出たり、一角には野外コンサート広場もある。子供たちは、皆、はだしで遊んでいた。蚊がいないだけで、その空間の快適度がこうも違うものかと感心した。

 

パペーテでのある夕方のことだ。

遠くから音楽が聞こえていたので、散歩がてら出かけた。その日は地元の休日で、野外コンサートが開かれていた。いろいろな団体の歌と踊りがあり、周りでは親子連れが遊んでいる。その情景を観光客が見て楽しめる。

 

消えた1日

日付変更線を超えた。地球のいたずらのような不思議な感覚だ。

突然、その日はやって来た。 

 

2010年6月17日0時のワッチ交代と同時にログブックを記入した。何気なくパソコンで日付を確認すると、いきなり18日なのだ。17日が消えたのだ!しばらくして、日付変更線を越えたことを実感した。

そして、地球を回って日本に帰って来た実感が湧いてきた。日本との時差が、たったの4時間になったのだから。

今までは、日本が昼なのか夜なのか確認したり、ここが何日だから、1日早くしたり遅くしたりという作業をしていた。

 

フィジー

ラウトカ(Fiji,Lautoka)

 

7月8日、フィジーはトンガ同様、首都のスバよりも、田舎のリゾートのほうがヨットの数が多い。きれいな海水があり、静かなロケーションが楽しめるのだ。

翌朝、起きてコクピットに座ると小鳥のさえずりが聞こえ、そしてその鳥たちが海にダイビングして小魚を取っている。その横のビーチでは、赤ちゃんを抱いたお母さんがもう一人の子供と散歩している。遠くから牛の鳴き声も聞こえてきたりと、牧歌的な雰囲気にしばし一人でひたっていた。海なのに不思議な新鮮さがあった。

ダイビング自体はそれほど感激するものは無かった。しかし小さなホテルの従業員は皆、フレンドリーで「ブラー」(こんにちわ)と挨拶してくれる。笑顔で迎えてくれるのが気持ちよかった。

 

海中の景観は単調なハマサンゴ等のハードコーラルがあったが、弱っている状況がそこらじゅうにあった。オニヒトデの繁殖被害があるようだ。

肝心のエンジン修理業者も手配がすぐつき見てもらった。

南アフリカ以来各寄港地で見てもらっているスイッチパネルの個所だが、今回は的を絞って修理依頼した。おそらくそれが良かったと思うが、どのエンジニアも見つけれなかった接触不良のコネクターの原因に初めてたどり着いた。サブサブの街で育ったことを盛んに自慢していた、51歳の勉強熱心なエンジニアだった。

強烈な便秘が治った心境で非常にうれしい。

 

バヌアツ

ポートビラ(Vanuatu,Port vila)(2010年7月18日着)

マレクラ(Vanuatu,Malakula)

エスピリトゥ

病気との戦い

フィジーを出た後、2010年7月18日、バヌアツ、ポートビラに到着した。今回は極度の下痢が24時間続き、その後下肢の筋肉けいれんを併発して七転八倒どころか、1昼夜寝ることさえできず体力を消耗した。

翌早朝、クルーのリンコーちゃんとデボラさんが、前の日にショッピングしていたときに知り合ったニュージーランド人、フレッドさんに応援を頼んでくれた。

7時という早朝にもかかわらず、彼はすぐに飛んできてくれ、友人の医師のいる病院に行こうという事になった。

病院で点滴治療を受け、昼間病院で休養し、結局ことなきを得た。その2日後、フレッドさんを八重山号のディナーに招待して、お礼をした。

彼は出張での道路工事の現場監督で、数週間単位で南太平洋の島々の道路保守点検をしているのだという。そんな中で、私の大ピンチを助けてくれた。

 

原住民の部落訪問

この島のルーツは、なんと人食い人種部落だった。半日観光に参加した。ポートビラの町からは、車で30分かからないほどの部落だ。

長く続く砂利道で、突然車が止まった。ガイドの指示のまま下車してすぐ横のあぜ道というよりけもの道の様なところを、歩くこと数分。

突然、ガイドが現地語で雄たけびをあげた。そして数分後、今度はすぐ横でヤリを持った原住民が、突然大きな奇声と共にやぶの中から現れ、我々もここまでかと私は思った。

何故なら、ガイドは真顔だったし、原住民のその様子は、問答無用の顔そのものだった。

そこから数時間の部落訪問だ。

足はガイドですら裸足だし腰みのだけの姿で、笑顔は一切ない。公共の水なし、電気なし、人工的な気配は皆無の部落だ。25名ほどの部落とのことだという。

我々に許された領域は観光客用にアレンジされた空間だが、彼らはそのすぐ横で今も生活している。文明を一切受け付けることなく、国からの援助を一切必要とせず、自分たちの意思で生活しているのだ。

 

ニューカレドニア

チェスターフィールド諸島、ロング島

 

★入国拒否!!

8月6日、 ニューカレドニア、ポートモスル・マリーナ到着。 

8時にVHF67chにコールして入国手続を開始した。ところが、デボラさんとリンコーちゃんが、イミグレーション手続きで午前中いっぱい拘束された。

我々はこのケースに慣れてはいるが、入国拒否の状況は嫌なものだ。

今回は、彼らがニューカレドニアとは国交がない台湾国籍であることが問題なのだ。

船内待機を命じられた。結果、エンジントラブルによる緊急入航を理由に、2時間後に5日間の滞在が認められたのだ。

しかし、認められなければ即刻国外退去の話まで出たため、

皆で落ち込んでしまった。「こんな国、5日もあれば充分だ。二度と来てやるもんか!」ということで、充分遊んで出国した。

 

★鳥の島に上陸

ロング島の西側にアンカーを下ろした。ここは、ニューカレドニア最西端の無人島だ。

我々はアンカーの効きを確認すると、弁当を持って無人島に上陸することにした。このロング島はアホウ鳥の島だ。1m近くに寄っても巣から逃げない。卵を抱いた親鳥が、いかくするわけでもなくこちらを見ている。

ビーチにも卵を産んでおり、人間が立ち入らない空間のようだ。結局この島を南から北端まで歩いた。

鳥は2種類で、数千羽はいると思われる。一つの種類は大型のアホウドリかと思われる。

その後、シュノーケルを楽しんだ。水温はかなり低く20度ぐらい。透明度は、期待通り30m以上で良かったが、サンゴは硬めのエダサンゴと小さいテーブルサンゴが散見できる程度だった。